My つぶやき

東京の下町で、インコ二羽と暮らしています。

お別れ…

ちょっとご無沙汰でした。

本日は、早めの時間に放鳥。「ポチャピチャしよう~♪」と二羽に声をかけてキッチンに行くと、二羽ともついてきました。

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しか~し、今日はポチャピチャの桶がシンクの中の低い位置にあるので、なかなか入らない二羽。ようやく、ここが始めました。

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そして、れいは結局水浴びしませんでした。

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水浴び後、エアコンの上で羽繕いをするここ

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れいの出目と長~い睫毛が見えますか?

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実は、4月9日の朝、父が亡くなりました。
92歳で大往生ではありましたが、何しろ急だったので、いまだバタバタしております。

3月末頃から咳が出ていたのですが、かかりつけの内科の先生のところでみてもらい、お薬をもらっていました。ところが4月5日(土)に、いつものように実家へお昼頃出かけると、肩で呼吸をしていて呼吸の度に「ハァ、ハァ」という呼吸音が聴こえます。そして母によると今日は朝から「ご飯はいらない」と言って食べないのだとか。以前にも患ったことがあるので「肺炎かな~」と。

明らかに普通ではない状態でしたが、生憎弟夫婦がお彼岸に行けなかったお墓詣りに出かけてくれていて留守だったので、帰るのを待って16時過ぎにかかりつけの内科に車で連れて行ってもらいました。

そのまま、内科の先生の紹介で近くの総合病院に入院となりました。
私は翌6日は、前のブログにも書いた通り友人の送別会のため、一日出かけていました。

月曜日の午後、先生からお話があるということで、弟が半休して母と病院に行ったのですが、手違いで先生は用事がありあえなかったそうです。この時点では父は「心不全」と「肺炎」ということで循環器科だったようです。

そして、火曜日の午後に、「肺の具合がよくないため強い薬を使いたいと思うので、ご家族にお話がしたい」と先生が言っているということで、仕事を少し早めに切り上げて病院へ行きました。

父は母と私の顔を見ると「お別れの握手」と言って握手をしました。

呼吸器科のテキパキとした若い女医先生の話によると、「間質性肺炎という肺炎で、ステロイド剤の治療しか今は方法がない状態です。午前中に撮ったCTと午後に撮ったCTでも肺の状態は違っていて、悪化の進みが早く…」と、見せていただいた肺のCTは、左右とも真っ白の状態でした。

「薬がうまく効いてくれればよいのですが、もしかしたら今晩があぶないかも」というお話でした。しかし、私たちが部屋にいると父は話すので、呼吸が苦しくなってしまうため、20時までで帰宅しました。

ほとんど眠れないまま朝を迎えましたが、病院からの連絡がなかったので、会社に向かいました。ちょうど、会社の最寄駅に着いたときに携帯に連絡があり、危ない状態だと…。

約30分後に病院に着きましたが、既に安らかな顔で眠りについていました。
結局、家族の誰も最期には会えませんでした。

父は、生涯で初めての入院でした。
入院から5日も経たずのあっという間の出来事でしたが、本人にとっても、もちろん家族にとっても幸せな最期といえるのでしょう。

…ということで、ちょうど1週間前の日曜日に葬儀を無事終えることができました。

四十九日、納骨、新盆と期日が切られていることから片づけなければなりませんが、とりあえず本日は自分の体調を整えるためにもゆっくりお休みしました。

独り身の私ですが、死後に周りの人が困らないよう備えておかなければ…と改めて思っています。